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陰謀論とかの話

blogというのは本当に大変ですね。ネタ探しやら何やらで。
しかも、私のような面倒くさがりは向いてませんね。
画像の投稿をしたいのですが、面倒くさ過ぎてやってません。こんなに面倒だとは・・・。

今回のネタですが、私の知り合いがどこから仕入れたのか分かりませんが、陰謀論臭い話をしてきたのでそれをネタにしようと思います。

知「長崎に教会があるんだけど、アメリカが原爆を投下してボロボロにして、外壁だけ残ったんだけど、アメリカはキリスト教の国だからそれがばれるとまずいから取り壊させたらしいよ。」
私「ふーん、原爆投下当時の写真とか、GHQの命令書とかは無いの。」
知「そんなのあるわけ無いよ。全部捨てちゃってるでしょ。アメリカ国民にばれると非難されるし。」   
私「原爆投下って実験の意味も強かったから、アメリカに行って調べれば何かしら有ると思うよ。広島の写真はたくさんあるでしょ。」   
知「でも、調べたけど何も無かったんだって。」   
私「でも、そんなにキリスト教徒が大事なら何でそんなところに落としたんだろうね。他に高い建物が無くて、目印にでもしたんだろうか。広島でも原爆ドームとかでもそうだし。」   
知「それは、分からんけどとにかくアメリカが取り壊させたらしいよ。」
(注:米軍が当該の建物を目印にしたかどうかは定かではありません。)

こんな感じのやりとりでした。   
私は、GHQがやったにせよ軍がやったにせよ命令書も無しにやるのはおかしいと思ったのでそのことを聞いてみたのですが、証拠の隠滅が謀られているらしく証拠は無いとのことでした。じゃあ、そいつはどうして知っているんだと聞いてみたかったのですが、それは止めました。

いずれにせよ、ちょっと気になった(blogのネタにするため)のでGoogleで検索してみました。 で、引っかかったのがこちら。
浦上教会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E5%A4%A9%E4%B8%BB%E5%A0%82
>1945年
8月9日、原爆投下により、爆心地から至近距離に在った浦上天主堂はほぼ原形を留めぬまでに破壊された(また、原爆投下時間に8月15日の聖母被昇天の大祝日を間近に控えて、ゆるしの秘跡(告解)が行われていた。そのため中にいた神父を始めとする信者の全員が死亡している)。
1958年
被爆した天主堂は翌年までに瓦礫を撤去し整備されたが、一部外壁の廃墟などは原爆資料保存委員会等の要請で被爆当時のまま仮保存されていた。保存の市民運動が起こり、長崎市議会も保存を決議したが、結局は破壊され、遺構の一部は近隣の平和公園内に移設された。

浦上天主堂遺壁(爆心地公園)※貴重な原爆遺構の破却に至った経過については2つの事情があった。
1.浦上教区の信徒で編成された「浦上天主堂再建委員会」は現地に再建を決定、信徒からの浄財及び寄付金によって再築計画を明らかにする。だがその動きを覚知した原爆資料保存委員会は、『旧天主堂は貴重な被爆資料である故に遺構を保存したいので、再建には代替地を準備する』と提案するが、当時の山口司教は、天主堂の立地には江戸時代のキリスト教迫害の時期に労苦を重ねて入手したという歴史的な背景があり、保存委員会の意向は重々理解できるが移転は信仰上到底受け入れることはできないという意思を決定した(浦上天主堂公式サイトにも同様の経過が記載されている)。
2.当時の市長田川務は、米国セントポール市との姉妹都市締結を機に今後の日米関係など政治的背景を重視し、1958年の市議会で「原爆の必要性の可否について国際世論は二分されており、天主堂の廃墟が平和を守る唯一不可欠のものとは思えない。多額の市費を投じてまで残すつもりはない」と答弁し、議会決定に反して破壊を求める意向を決定した。
被害当事者である浦上教会と、結果的にアメリカへの配慮を優先した田川市長の意向が共に破壊撤去を選択したため、旧天主堂の廃墟は除去されてしまった。一部の遺構は保存されたとはいえ、広島県広島市の『原爆ドーム』(旧広島県産業奨励館)の様に爆心地付近の惨状をありのままの姿で後世に伝えることが出来る遺物を残さなかったこと、また原爆ドームが史跡やユネスコの世界文化遺産に登録されたこと等から、取り壊されたことを惜しむ声も未だに多い。
ただし、浦上教会信徒会館2階には再建時に発掘・収集された被爆物(溶けた聖母像や聖杯・ロザリオなど)を展示する資料室を併設しており、自由に見学が出来る。

1959年
浦上教会が、旧天主堂の廃墟跡に旧天主堂を模して新築された。

これらの記述が正しいのかどうか、調べてみました。
浦上天主堂
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/
浦上小教区変革史
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/henkakusi.htm
浦上天主堂と原爆
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/genbaku.htm
>昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、浦上の松山町上空500mで炸裂した原子爆弾は、浦上を焼土と化した。(中略)その日は数十人の信者が天主堂内にいたと思われる。そして爆風で天主堂は倒壊し、2人の神父も信者たちも即死した。倒壊した天主堂には火がつき炎上した。
>1)被災状況
 被災状況は、次頁の写真で一目瞭然である。一部側壁を残すのみで全壊である。
浦上天主堂再建
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/saiken.htm
>2)再建資金募金のため山口愛次郎司教渡米
 信者の醵金だけでは再建は無理と、御推察になった山口愛次郎司教はアメリカに渡り、募金に努めて下さった。
>4)天主堂廃墟の撤去問題
天主堂の再建着工を知った原爆資料保存委員会では、小教区当局に対して天主堂の廃墟は唯一貴重な原爆資料なので、是非保存してくれと強い要望をしてきた。
 教会としては、山口愛次郎司教を中心に慎重に検討した結果、原爆前と同じ天主堂を再建するためには、廃墟を撤去しなければ建てられないので、廃墟保存の趣旨はよくわかるが、撤去はやむを得ないとの結論になった。
>5)浦上天主堂再建・聖別
そして1年半後の昭和34年10月完成し、

ということで、教会は納得をして取り壊しを決定し、教会の関係者が訪米をして募金を集め、再建をしたということでした。
Wikipediaの取り壊しの事情2の政治的な問題ついては、記述がありませんでしたが、書いていないということは教会側としては問題が無かったのではないでしょうか。

私が調べた限り、アメリカが取り壊しについて関与したとは思えないし、その証拠隠滅を図ったとも思えません。何しろアメリカまで再建のための募金を集めに行ってますしね。

で、この陰謀論をどこで私の知り合いが仕入れたのか、ですが
検索中にこんなページを見つけました。
アメリカにとって消さなければいけなかった過去 長崎原爆 浦上天主堂の取り壊し - ★【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/alex99/diary/200808160000/
>ザ・スクープスペシャルという番組を見た
鳥越俊太郎氏の番組である

彼は新聞はほとんど読みませんし、情報源はテレビか週刊誌なのでこれに間違いないと思います。しかも、都道府県の数を知らない鳥越俊太郎氏の番組のようですね。

このページを書かれた方も「アメリカにとって消さなければいけなかった過去」といって
記事を書かれているようですが、この方も引用されている通り「原爆によって当時教会内に居た全員が亡くなり、教会もほぼ全壊してしまった」という事実は教会のwebページでも確認ができるのに、何故「廃墟が残っている事」がアメリカにとって「消さなければならなかった過去」となるのかが分かりません。日本ではTV番組にまでなっているし。

ある事柄から色んな事を妄想するのって楽しいですよね。
それらの妄想がもっと説得力のあるものだったら、もっと良いのになと思います。

私の髪が薄いのはDNAの陰謀

コピペが多くなり、記事が長くなってしまい申し訳ありません。

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